茨城民俗学会代表理事 今瀬文也
今年は民俗学会創立四十五周年になります。その間、社会は大きく変わりました。電話が一般家庭に入るようになったのは、昭和四十年を過ぎてからです。その頃は自家用車も少なく、一時間の通勤距離は自転車で通うのが普通でした。
昭和四十年代の民俗学の調査対象は農家でした。それまで、薪炭を燃料や暖房にしていましたが、石油がとってかわりました。それに農家の住宅も建替えの時期を迎えました。これらの記録保存のために、文化庁や県の依頼により、各地域の民俗調査を実施しました。
その中で、特に筑波研究学園都市は大きく変貌しました。私は社寺の悉皆調査をしていますが、驚くばかりの変わりようです。
建造物調査も昭和四十年代に始まり、国・県指定の民家を多数残しました。とくに、農家は昔のように作業場のための土間、食事の場になる囲炉裏など無用になりました。それに農機具の発達は、人手がいらなくなり、結いの必要もなくなりました。
このような社会の近代化は多くの民俗現象をなくしつつあります。それらの影響もあって、民俗学は黄昏の渦中にあると唱える人もあり、本当に厳しい学問になりつつあります。もう「昔こんなことがありました」の学問ではなくなっ
ています。
先日、常陸大宮市の東野を歩きました。明治維新の時、寺から離れ、神道になったが、盆には寺からの通知で施餓鬼には参加、塔婆を受けて、普段は線香をあげて鉦もたたいていました。講の形も変わっています。庚申講はなくなり、新年会になったといいます。
これからの民俗学は、現象の変化を調査する必要があります。また、記録に誤りのあることも指摘されました。県では年中行事と祭りの調査を行っているようですが、参加している会員は、今までの民俗調査をべ−スに確実な記録をしていただきたいと思っています。