○ 日 時  平成25年11月17日(日)

          午後1時〜午後3時ころまで

○ 会 場   茨城県民文化センター 分館集会室九号(水戸市千波町)

○ 演題,講演者

  講演  難読に親しむ 「興味津々 名字の世界」

         高信 幸男 さん (茨城民俗学会会員,苗字研究家

  主 催  茨城民俗学会

 

 解 説

  参考 「名字と苗字の話」

 高信幸男さんはテレビに出演したり、各地で講演したり有名な苗字研究家である。
談話会の予備知識として参考文献を読んだので、ここに掲載しておく。
詳細は当日のお話を期待したい。

「名字という語は元は実名及び通称といふことであった。通称が今日よりも遥かに単純
であった時代には、更にその上に居住地を付加して、重複を差別する必要があったが、
近代のやうに、それが千変万化すると、もう屋号を添へて呼ぶには及ばぬので、居所移
転しても変更せず、一族共用してこれを氏姓の如く考へ始めた」と「定本柳田國男集」
巻二六の「名」に書かれている。

 日本では名字は別として、名はいろいろあって、まぎらわしかった。
まず、童名があった。そして若名、元服すると名乗り、これが本名・実名なのだが、
忌名ともいっている。官吏には通称があり、世襲する名もある。姓も面白いが名のほうも
いろいろあるのである。

 ここで、『国史大辞典』の「苗字」を拾ってみた。苗字は中世には名字と書いていたが、
苗字と書くようになったのは江戸時代からではないかという。 名字の発生は豊田武氏によると、字(あざな)で、地名に依ったという。今でも大字・小字は地名である。名字の起こりは土地制度における名字地で、族的結合の関係が深いのである。
 平安時代末期から鎌倉初期にかけて、同族意識が強くなり、本拠地の名字を共通に使うことに
なった。そして室町時代には一族の通称が名字として実名になった。
 名字の成り立ちを国史大辞典は次のように見ている。
1 官職から出たもの 少弐・留守
2 歴史的地名 三宅・国分・中条・神保
3 荘園・居所に因むもの 庄司・田所・刀禰・別府・宮本・土居
4 天文・方角・地形に因むもの 日高・辰巳・森・林・西田・上田・和泉・反町・小野
5 動植物に因んだもの 松・杉・立花・犬飼・熊谷・鶴田・猿田

 名字は地域的に分布していると思っていたが、鎌倉時代の東国武士の西国移住や江戸時代の大名転封で名字が各地に広まることもあった。
 貴族や武士の子孫であることを願う庶民も多く、それに付け込んで、偽系図の作成や系図買いが行われた。源氏・平氏・藤原氏などお好み次第で、途中までできているものに、位牌など見て付け加えたのである。
 近世中・後期にほ農民の大部分も名字を用いるようになった。明治三年(一八七0)には平民の名字を公に認められた。同四年四月には、戸籍法が施行され、戸籍に「何の誰」と苗字と名を登録記載が決められた。
 苗字帯刀・名字の地、名字拝領などの語もある。電話帳などで名字・苗字を調べるのも面白い。今瀬という苗字は三文判がないので、そうはないと思っていたら意外に大阪や名古屋に同姓があり、それに二男と同姓同名がいるのには驚いた。次の資料は「定本柳田國男集』第二巻である。
「自分は居住の起源を知る為に所謂苗字の分布を考へて見たことがある。人も知る如く、只の農民が家号を名乗ることを許されたのは明治の始めからである。其際には極の小民の中には自ら我苗字を知らぬ者もあった。役場員で彼等の相談を受け、新規な氏の名を発明して遣った例も少なくなかった。しかし、大抵の場合には仮令僅かな因縁でも、何か理由を付けて付近に最も普通な、世間体の悪くない苗字を用ゐたので、つまり現在の分布は概略其地方の特色を示して居ると言つて差支へがない」

 現在、日本には二万の名字があるという。その九割以上がどこかの地名である。家の起源の明白
な者は殆どが最初の居住地付近に同じ地名がある。電話帳の水戸のあ行のはじめだけだが,次の
名字は一軒のみのものである。
『第144回談話会』を,開催します。